ある日、とある釣り番組を見終えてから、腑に落ちない、例えようのない気持ち悪さが残った。あまり釣り番組は見ないのだが、この日は仕事にも多少関わる内容らしかったので珍しく見たのだった。
いわゆるプロと呼ばれる釣り師の一日を追う、というよくある感じの構成で、内容自体は取り立てて新しさも無かったし、なにが腑に落ちなかったのか分からなかった。
そんな事も忘れた後日、YouTubeで別の釣りの動画を見ていて、ハッとなった。また何かに引っかかったのだ。しかし今回はその原因がわかった。
登場する釣り人が、最初から最後まで一度も魚に触らなかったのだ。ただの一度も。
あれよあれよと簡単に魚を釣るのだが、魚の口から鉤を外す時も、鉤外しや小型ペンチを器用に使って外し、素早くリリースする。
魚の体表は粘膜によって保護されている。人間の手で触ると「ヤケド」するというのは、この粘膜が損傷することを指す。だから、採った魚を生かしたまま持ち帰り飼育するには、この粘膜を傷つけないように輸送することが何よりも重要になる。以前「今日もガサガサ日和 Vol.5 車で魚を持ち帰る方法」でも言及した。
昨今、渓流釣りでは魚資源の保護、増殖の必要性からキャッチアンドリリースが制度としてもマナーとしても広まりつつある。川の面積は狭い。数を競う誇る釣りをすれば簡単に取り尽くされてしまう。釣りの対象となる魚の殆どが放流されて成り立っているという現状を鑑みれば、釣り人の意識改革、マナーアップは必要だろう。
限りある資源を大切にして、自然繁殖の循環を作り守っていくことが大切だ。そのことが美しい魚を釣りたい、美味しい魚を食べたい、魚との駆け引きを楽しみたい、という釣り人の願いを叶えていく道でもあろう。だから、釣った魚を出来る限り傷付けずにまた川に帰すことが重要なのだ。あの釣り人はそれを実践していたに違いない。心ある釣り人なのだ。
なのだが、ではあるのだが、魚に一切触れない釣りを見た気持ち悪さはどうしようもない。魚に触るのを恐れているような、忌避しているようなその仕草は醜悪で、とても釣りとは思えなかった。宮崎駿のいうところの、生命への冒涜にさえ思えた。
釣りはどこまでいっても生き物を相手にした遊びだ。傷付くし、死ぬのだ。魚を触ればぬるぬるしてるし、ザラザラしてるし、冷たいし、ウロコが付いたり、付いた匂いはなかなか取れない。鉤が掛かれば血は出る。釣る側もヒレやトゲに触れば痛い。そういったことを抜きにして生き物とは向き合えないと思うのだ。
とするならば、あの釣り人は、生き物を大切にしているようで、実のところ生き物と向き合ってはいないということにならないか。私の感じた気持ち悪さは、この一点にかかっていると言ってよい。
子供の頃からあの釣りらしきものを釣りとして覚えたらと考えると、ぞっとする。知識はあって、釣れるが、魚の感触を知らない、触ったことのない子供などホラーだ、と。
私のこの懸念にはさらに根拠がある。環境学習の現場で多く耳にするこのフレーズだ。
「かわいそうだから逃がしてあげましょう」
「家で飼っても死んでしまうから逃がしてあげなさい」
子供が生き物で遊ぶのを残酷だという。可哀想だから捕まえるなという。逃してやれという。そうやって、子供から生き物を、だから生き物が死ぬという事を遠ざけて、子供は何を学ぶのか。それで自然の、生き物の、何がわかるというのだろうか。わかるはずがない。
可哀想だから逃がしなさい、と言いつつ、焼き魚や寿司を食う。この矛盾をどう説明するのか。できっこない。他の生き物を食料、レジャー、癒し、教育など様々な糧として生きるのが人間という生き物の生態だ。そういう生態を持つ人間が、どう生き物と向き合うべきなのか、という問題なのだ。
生き物を大切にしているようで、実のところ生き物と向き合っていない。私の感じるザラリとした気持ち悪さは、やはりこの一点にこそかかっているのだ。
子どもはもっと魚に触っていい。魚の感触や温度を知ればいい。採って食べればいい。大人のマナーやルールは、子どもの頃にそういった生きた体験を持った人にこそ真に伝わるものだ。そこをすっ飛ばして教える意味はない。大人が作らざるを得なかったマナーやルールは、大人に責任があるのであって、子供に持ち込むべきではない。
私が関わる環境学習では、持ち帰って育ててみろと言っている。そういうと子供たちの目は俄然輝き出す。自分で採った魚を持ち帰りたいのは当然だろう。だから持ち帰り用のペットボトルや飼育ケースも持参させておく。どうやって育てていいかアドバイスもする。子供たちからは矢継ぎ早に質問が飛ぶ。そして背後に居並ぶ親の元に駆け寄って行き、持ち帰っていいか尋ね、押し問答の末に持ち帰っていく。
中には親に頑なに反対されて興醒めする子供もいる。だから親にも呼びかける。
「子供に責任を持たせてあげてください。けれど、手助けはしてあげてください。一緒に調べたり、考えてあげてください。魚は死んでしまうかもしれません。たぶん多くは死んでしまうでしょう。けれどその時はどうして死んでしまったのか、何がいけなかったのか、一緒に考えてあげればいい。子供はそうやって生き物のことや自然のことを楽しんで知って、次に生かしていくはずです。そういう原体験を持った人を育てましょう」と。
伊藤 匠